2008年02月21日

雛祭りの楽しみ方

大変興味があります。
雛祭りのまじめな話。実は知らないことばっかりでした。

日本では和暦(太陰太陽暦)の3月の節句(上巳)である3月3日(現在の4月頃)に行われていたが、明治6年(1873年)1月1日の改暦以後はグレゴリオ暦(新暦)の3月3日に行なうのが一般的である。しかし一部では引き続き旧暦3月3日に祝われる。旧暦では桃の花が咲く季節になるため桃の節句となった。

男雛と女雛を中心とする人形を飾り、桃の花を飾って、白酒などの飲食を楽しむ節句祭り。関東雛と京雛では男雛と女雛の並ぶ位置は逆。本来「内裏雛」とは雛人形の男雛と女雛の一対を指すが、男雛を「お内裏様」、女雛を「お雛様」と呼ぶ誤りは「うれしいひなまつり」の歌詞から一般化している。三人官女以下のその他大勢の随臣、従者人形を「供揃い」という。


歴史
日本の雛祭りはいつ頃から始まったのか判然としていないが、その起源はいくつか存在している。日本での起源は、平安時代に既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録が現存している。その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられている。しかし、それはどこまでも「遊びごと」であり、決して儀式的なものではなく、そこに雛あそびの名称の由来がある。

これが江戸時代に女の子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになった。この「雛あそび」が「雛祭り」へと変わったのは天正年間以降のことであり、この時代から三月の節句の祓に雛祭りを行うようになったと推測されている。もっとも、この時代には飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味あいが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の重要な家財のひとつに数えられていた。その為、自然と華美になり、贅沢に流れるようになっていった。

江戸時代初期は形代の名残を残す立った形の「立雛」や、坐った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていたが、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物であった。その後時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られたが、これらは金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた豪勢なものだった。この享保年間、人々の消費を規制するため一時的に大型の雛人形が当時の幕府によって規制されたが、この規制を逆手にとって、「芥子雛」とよばれる数センチの大きさの精巧を極めた雛人形が流行することになる。江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな装束を正確に再現したものがあらわれ、さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れた。この後、江戸末期から明治にかけて雛飾りは二人だけの内裏人形から、嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や檀飾りなど急速にセットが増え、スケールも大きくなってゆく。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
相互リンク
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2008年01月11日

日露戦争とロスチャイルド家とワイン


ほうほう、こんなことだったですね。
たいぶ昔に習ったことだから忘れてしまっていました。


日本が日露戦争を行う際、膨大な戦費をまかなうため外貨建て国債を発行したが、日本の国力に疑問を持つ向きが多かった。そうした中で、ニューヨークの銀行家でユダヤ人のジェイコブ・シフが支援を申し出たため、外債募集に成功した。シフの働きはロンドンのロスチャイルド家の意向を受けてのものであった。

日本は戦争に勝ったがロシアから賠償金を獲得できず、ロスチャイルド家に金利を払い続けた。この為に、「日露戦争で最も利益を得たのはロスチャイルド家」とも言われる。その一方、ロスチャイルド家はロシアの石油開発にも巨額の投資を行っていたが、ロシア革命が起こると撤退を余儀なくされた。


現在
第二次世界大戦後、その勢力は衰え、かつてほどの影響力は失ったとされるが、金融をはじめ石油、鉱業、マスコミ、軍需産業、製薬など多くの企業を傘下に置いている。そのためアメリカのロックフェラー財団と共にしばしば世界を影から操っているとも言われている。 現在、ロンドンのロスチャイルドは数少ないイギリス資本の金融サービス機関の一つである。


ロスチャイルド家とワイン
ボルドーの赤ワイン生産者として、最高の格付けを得ている「5大シャトー」と呼ばれるブドウ園のうち2つが、ロスチャイルド家の所有となっている。そのうちシャトー・ムートン・ロートシルトは、ネイサン・ロスチャイルドの3男ナサニエルが1853年に購入したものであり、シャトー・ラフィット・ロートシルトはマイヤー・ロスチャイルドの5男ジェームスが1868年に購入したものである。1855年の格付けではラフィットが1級の評価を得たものの、ムートンは2級に甘んじた。だが、ナサニエルの曾孫のフィリップの努力により、1973年、異例の格付け見直しによりムートンも1級の地位を獲得する。 その後もフィリップとその一族は、カリフォルニアの「オーパス・ワン」、チリの「アルマヴィーヴァ」などのワインを手がけ、いずれも高い評価を獲得している。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年09月24日

ドリカム国立競技場でライブ

美和ちゃんって年齢を感じさせないほどパワフルで見ていて元気がもらえますよ。
あれだけの広いステージを全速力で走りぬけても息切れもせずに唄えるって相当の体力の持ち主なんだろうと思います。しかも、32曲音程が狂うこともないそうですから本当に感服です。

『参照記事』

 人気ユニット、DREAMS COME TRUEが23日、東京都新宿区の国立競技場で、4年に1度の恒例ツアー「DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007」の最終公演を開催。同所での単独公演は一昨年のSMAPに次いで史上2組目で、ライブでは初めてアーティストが聖火台に点火。6万人の大歓声の中、2人は燃え上がる炎をバックに32曲を熱唱し金メダル級の熱いライブを繰り広げた。

 「東京の空をみんなで震わせっからね!」

 ライブ中盤の「何度でも LOVE LOVE LOVE」の歌唱前。雨上がりの国立競技場にボーカル、吉田美和(42)の声が響いた。吉田はベースの中村正人(48)とともに聖火台の脇に登場。トーチで聖火台に点火すると、赤々とともる炎に約6万人の観衆から「わあっ!!」と歓声が上がった。

 さらに2人は聖火台下のサブステージまで一気に階段を駆け下り、そのまま6万人のファンとともに「何度でも?」を大合唱。吉田は「みんなありがとう!!」と泣きながら絶叫。一方の中村は「6万人の大合唱。大成功!」と大喜びだ。

 国立競技場公演はドリカムの夢でもあった。平成13年末から2人は「東京のど真ん中で歌いたい」と同所でのライブを希望。芝生や陸上トラックの管理など使用条件は厳しかったが、地道な交渉の末、デビュー以来18年で400万人を動員した実績などが認められ“スポーツの聖地”でのライブが実現した。

 オープニングでは、センターステージから直径7メートルものバルーンにつるされてそのまま15メートル上空を約30メートル平行移動するという、歌手の小林幸子(53)がNHK紅白で見せるような仰天荒業も披露した吉田。「絶対今日こそみんなのこと幸せにしてあげる!」とのっけから号泣し、ヒット曲「うれしい!たのしい!大好き!」「やさしいキスをして」など次々と披露。アンコールでは、10月3日発売の新曲で未来予想図パート3「ア・イ・シ・テ・ルのサイン?わたしたちの未来予想図?」を熱唱するなど全32曲をパワフルに歌い上げた。